月別アーカイブ: 7月 2018

引っ越して1周年

カレンダーを見てふと気づいた。昨年の今日は引っ越し日だった!7月15日から契約開始だったので、26日までに車で運搬できるものは何度も往復して運んでいたが、引っ越し業者に来てもらい、家具も全て運び込んだのがこの26日。あっという間の1年、家族の健康など色々と問題が噴出し続けていたので、新しい家自体を楽しむ余裕がなかったが、振り返ってみると、引っ越しのおかげで結構、以前よりも楽をさせてもらっているかも?

まず、何よりもアパートに比べて、タウンハウスは隣人のことを気にしなくて良いのが快適である。今までアパート類(日本では団地やマンション)でしか暮らしてきたことがないので、ピアノの音や足音などについて「近所の人に迷惑にならないように」と常に気にしていた。小さい頃からの練習の積み重ねで、足音を立てずに階段を降りるのは私の特技。今でも私が突然、どこからともなく現れるので、家族をビックリさせることができる(笑)。だが、そのように音を立てることに気を遣わずに生活できるとは、何と気楽なことか!

さらに理由は分からないが、この家では、室内から車の音や戸外で遊ぶ子どもの声などは聞こえるが、外に出て扉を閉めると室内の音が一切聞こえない。夜中にピアノを弾いても大音量でテレビを見ても、外には漏れない。そして、近所の各家庭からの音も、窓が閉まっていれば漏れてこない。大変に便利な造りの建物で、こんなサプライズがあるとは引っ越し前には想像もしていなかった。

その他、地下室に物を収容する巨大スペースができたこと(コストコを思いのたけ利用できるようになった!)、上階まで音が伝わってこないので、洗濯機・乾燥機を夜中でも寝ている間に利用できるようになったこと(その前に、自分の洗濯機・乾燥機であることが嬉しい!)、地下の隣の部屋、カーペット部分ではノルディック・トレーニングマシンでのエクササイズやヨガを1日中いつでも行えること(セッティングの割には利用していない…)等々、この家のメリットを数え上げればきりがない。

近隣の人々も人種や宗教など多様性に富んでおり、白人一色に近かった以前の地域よりも暮らしやすいし楽しい。引っ越し先を決める時には、子どもの学区のことのみを念頭に置いていたので、他の利便性については考慮もしなかったが、普段のスーパーへの買い物をはじめとして、行きつけのレストラン、病院など、どこに行くにも以前よりも短時間で到着できる便利な場所に位置している。1番大きいモールが遠くなったのは残念だが、常時行くとお金が羽を生やして飛んで行くので、これぐらい離れた場所がよろしい。また、タウンハウスの管理会社も非常に親切で効率的に働いてくれるため、アメリカにありがちな「いつ修理に来てくれるのだろう」と何日、何か月も待たされるような体験をせずに済む。

こう書いてきて、何と恵まれた場所に引っ越してきたのかと改めて嬉しくなってしまった。継娘が高校に通う間の4年を目処にしていたが、これ程居心地の良い場所になるとは、永久に住むことになるかもしれない。実際、近所の人で「数年住んで、家を買って…」と考えていたのに、もうすでに10年にもなるという家族もいる。アメリカでは賃貸物件は日本よりも出入りが激しいのが普通だが、この一角はそうではないのかもしれない。

唯一、引っ越してからの生活の難を言えば、オフィスを引き払って自宅で仕事をするようになったため、隠遁生活時間が長くなって運動不足になることか。最近、合わない衣類が大量に出てきて危機感を覚え、ジム通いになるべく時間を割くようにしているものの、日常の動きが少ない分、常に体を動かすことを意識しておかないと不健康な生活スタイルになってしまう。

が、これは自分の心がけ次第。住居のせいではない。2周年も、その後もさらに幸せに暮らしていられますように!

初シカゴ5

シカゴ滞在の最後の日はミュージカル『ハミルトン』に。宿泊先移動により、劇場が目と鼻の先の場所に移動してラッキーな気分。劇場の扉が開く45分前きっかりにホテルを出ると、劇場前の列がゆっくりと中へと吸い込まれていく最中で、上演まで不必要なストレスにさらされず待機。上演が終わった時も、数分後にはホテルに直行という極楽さ。

元々ラップ系の音楽がまったく良く分かっていないので、楽しめるだろうかという不安はあったが、ラジオやテレビから流れるラップを聞くのに比べ、生では自然にリズムに乗れる。お腹の底まで高速のラップのリズムがズシンズシンと響いてきて、今までのミュージカル体験とは一味違うものとなった。

もちろん、主人公のハミルトン以下、ほとんどの俳優に非白人を起用したミュージカルであるため(今回はジョージ1世以外は全員が非白人。他の公演でもこの構成なのだろうか?)、その点でも今までにはないミュージカルである。

考えてみれば、日本では、登場人物が東アジア人以外の劇やオペラなどでは、常にすべての人物を日本人で賄うことが多いのであるから、こうした登場人物と役者の人種の不一致には慣れているはず。宝塚歌劇など人種どころか性別も異なるが、そうした違いがあるからこそ観客は余計に楽しんでいる気がする。だが、人種問題が深刻なアメリカにいると、故意に建国の父たちを非白人のキャストにしなくてはならない社会的背景が浮き彫りにされるため、無邪気に人種の違う役者による演技を楽しむというわけにはいかず、キャスティングの裏にある重い意味を考えざるをえない。

とはいえ、ユーモアあふれる脚本のおかげで、観客の間には始終笑いが巻き起こっていた。ジョージ3世の歌の部分だけはラップではなく、アンドリュ―・ロイド・ウェバー風のメローな旋律で、際立った対照でよく練られていると感心した。個人的にはトマス・ジェファソンがエディ・マーフィーのようで気に食わなかったが、もしかすると、本当のジェファソンもおちゃらけだったのかもしれない。

トニー賞を受賞し、さらにペンス副大統領が観に行った時の騒ぎのせいで、ますます人気が出て、以前としてお高い『ハミルトン』のチケットだが、来年Rochesterにやって来る時よりもずっと安い座席がシカゴには存在することを発見できた。1階オーケストラ席の1番後ろの列で「障害物あり」と冠される座席。

リラックスした普通の状態で椅子に座って撮った写真がこれ↑である。舞台上部が見えないため、俳優が2階部分に立つと足しか見えないし、右手の柱が時々邪魔をする。だが、ステージとの距離にあまり大差のない、2列前に座っているこの女性陣の席の3分の1の料金で同じミュージカルを観ることができとは、何たる幸せか(笑)!

さらに、私の座席にはサプライズがあった。この前列の座席とは異なり、椅子が固定されていないのであった。私の隣に座った男性と私だけ、左右に半径50センチ弱、前後に1メートル弱のスペースがあり、そこに無造作に置かれた(だが、座席番号も付けられているし、フカフカで気持ちの良い)椅子を自由自在に好きな場所に動かせるのである。おかげで、役者が柱の向こうに隠れると、頭や体を斜めにできるだけでなく、役者の位置に合わせて自分たちも椅子と一緒に移動できるという便利さ。

そして、さらにさらに!こんなものまで隣に控えていた!

ミキシング・エンジニアの真横だったのである。劇場の照明が落ちても、この部分だけは暗くならず、コーヒーを片手に、エンジニアのお兄さんがあれこれ操作しているのが覗ける。もちろん、舞台のほうに集中しているので、いつも彼のほうを見ていたわけではないが、左手のテレビには、常に舞台全体が映し出されている。実際の舞台を見ても、俳優が2階部分で歌っている時には、ここにあるテレビを利用しない手はない…ということで、テレビもチラ見。もう一台にはオーケストラの指揮者や奏者が映し出されており、他の観客が見えないものが見えるのも面白い。

また、このミュージカルを何百回と観ているであろうお兄さんは、俳優が歌い始める前から次が予測できているので、歌が聞こえる前から一人でノリノリなのである。お兄さんの体が動き始めたな、と思っていると、歌のピッチが変わっていくという繰り返しで、真横の私は彼の合図で次の音楽を感じ取っていたかのよう。

ミキシングに興味がある人には、この座席は見逃せない場所ではないだろうか。劇場によっては音楽や照明担当者がすべて別のスペースにいる所もあるだろうが、CIBCシアターは内部の改装はされているが、20世紀初頭に立てられた古い建物なので、こうした配置が残っているのかもしれない。エンジニアの右側は通路、この席(オーケストラ席のZZ105)限定のミキシング見学体験である。

初シカゴ4

独立記念日の休暇を兼ねて出かけたシカゴ。7月4日といえば、やはり花火は欠かせない。この夜はどこか良い場所で花火を見ようと、必死に確実に見られる場所をネットで検索してみたが、20分弱の花火のために皆が必死になるのは同じで、どの場所でも午後から早めに場所を確保しておかなくてはならない模様。それならば、ボートでミシガン湖に出て、湖上から摩天楼をバックに花火を見ようという案に至ったが、暑さが苦手な夫からクレーム。

その結果、シカゴで2番目に高いジョン・ハンコック・センターの展望台の上、95階にあるレストランから食事をしながら花火を見ることになった。1ヵ月以上前に予約を入れたが、すでに満員のようで、「なるべく」窓側の花火が見える席を用意するという返事が来たため、「なるべく」ではなく、「確実に」窓側の座席を確保すべく、予約時間より1時間前に到着。96階にあるバーラウンジで予約の時間までノンアルコールカクテルを飲みながら、窓側のテーブルを待った。

観覧車のある桟橋付近で花火が上がるはず。ビーチにの人々や路上の車がアリのよう。

この間、気づいたのは、シカゴ中で誰もが花火を上げまくっているということ。上から見ていると、数ブロックごとに、花火があちこちで打ち上げられている。法律では禁止されていると思うが、7月4日は警察もイベント警備のほうで忙しく、花火で違反をする人を取り締まるほどの暇がないのかもしれない。素人による花火なので、面白いぐらい途中で消えてなくなったりするのだが、あまりにも辺り一面で花火が上がるので、少々飽きてしまった。

そうしているうちにも日が暮れ、我々も予約の時間を少し過ぎて、湖に面したテーブルに案内してもらえた。レストランのロゴ入りお皿を楽しんだりメニューを見ているうちに、あっという間に花火の時間になってしまう。慌ててカメラを手にした途端、間の悪いことに前菜が到着。カメラの調節もしておらず、写るのは花火ではなく、店内の明かりや他のお客さんがガラスに映った姿(苦笑)。

その上、当然だが95階よりかなり下のほうで花火が打ち上げられており、カメラでズームアップしない限りはミニチュアのよう。音はもちろん聞こえないし、外の全く違う世界で行われている他人事のような花火で少々興ざめだった。

店内の照明や人が花火と重なっている…

花火はある程度、打ち上げられる音が聞こえたほうが良し。自分と同じ高さか、もしくは見上げる高さに上がる花火のほうが良し。今回学習した花火の鑑賞方法である。

ただ、この95階からは花火以上に楽しめる稀有なものがあった。夏嵐である!

花火が始まる頃から稲妻が見えたので心配していたが、花火が終わった途端に雨が降り始め、嵐の様相を呈し始めた。高い所なので、雲が真横をものすごい勢いで飛び去って行く。そして、遠くではあちこちに雷が落ちるのが見え、そうこうするうちに瞬く間に霧が立ち込めて下界が見えなくなった。ネットで天気の様子を探ると暴風雨のようであるが、95階で分厚いガラスに囲まれていると、雷や風の音も聞こえず、完璧に傍観者。再び数分後に霧が晴れると、下のほうでは(おそらく)ひどい風雨の中、交通渋滞が始まっており、車が数珠つなぎになっているのがかすかに見える。そして、稲妻は30分近くまだまだ続いた。

サイレント映画の世界であるが、花火より迫力のある稲妻に目を見張った夜となった。そして、あの嵐の中、湖上にボートなどで出なくて良かった、とワインを片手に天空のような環境でしみじみと思う夜ともなった。

 

初シカゴ3

シカゴで訪れたミュージアム類。

1.Field Museum

夫が参加したMarch for Scienceサミットの初日のミーティングが行われた場所でもある。自然史博物館となっているが、自然科学系のものに限定されない、むしろ文化人類学的な展示物が多いように感じた。エジプトや南米のミイラさんたちに大勢出会い、これが数世代前の人たちであれば、ガラスケースに入った人体をこんな風には観察できないだろうなと複雑な気持ちにさせられる。恐竜から21世紀の人類の営みまで、長い年月にわたる地球上の生命を感じることのできる博物館である。

2. Art Institute of Chicago

印象派絵画など知名度のある作品が多く展示されているため、かなりの人気である。日本の美術館に海外の展示物がやってきた時と同じような込み具合で、少々辟易した。優先入場のファーストパスを持っている人でさえ、美術館の前に列を作っている状況で、普通に入場チケットを求めた我々は30分近く列に並んでいたような気がする。今回は数時間しか滞在できなかったが、次の機会は朝一番に入館して、1日ゆっくりと見て廻りたい。

3.Chicago Cultural Center

上記二つのミュージアムは入場料がお高いが、このセンターは無料!インフォメーションセンターのような役割も果たしている場所だが、建築様式自体が美しく、シカゴにまつわる展示物も面白い。

4.Jane Addams Hull-House Museum

イリノイ大学のシカゴキャンパス内にある居住福祉博物館で、ノーベル賞を受賞したジェーン・アダムスとハルハウス設立に協力した人々について展示されている。当時のセツルメントハウスの様子が手に取るように分かり、非常に勉強になった。FBIに危険人物としてマークされながらも頑張ってくれた彼女のような先人のおかげで、現在の福祉形態が生まれたことを考えると、感謝してもしきれない。

5.American Writers Museum in Chicago

イリノイでベスト・アトラクションに選ばれているだけあり、アメリカの有名どころの作家や詩人などの情報展示に飽きない工夫がなされている。個人的にはアメリカ文学史のテキストを復習している感があり、大学生の頃にここを訪れたならもっと楽しめたのではないかと思った。小さい博物館だが、1日かけても時間が足りない情報量である。

6.Chicago History Museum

今までに訪れた歴史関連の博物館の中で、ずば抜けて秀逸の場所だったと個人的に感じる。シカゴ大火や博覧会など、基本的な地元中学生が学習するような内容から、シカゴに留まらず、米国全土で過去に行われた市民運動に関する展示物まで、奥の深いものが多かった。リンカーン、キング牧師、フレデリック・ダグラスといったシカゴと大きな関係を持つ人物のコーナーも充実しており、さらには「どのような時に声を挙げるべきか」をテーマとしたセクションもあり、民主主義について深く考えさせられた。

初シカゴ2

今回の旅行で予期しなかったハプニングといえば、滞在途中の宿替え。

最近、我が家ではAirbnbの利用が通例となっているため、今回も通常通りAirbnbでアパートメントを借りたのだが、それがサウスループの線路の隣で、「うるさい」の一言!3種類の路線が数分(時には数秒)ごとに行き交っており、かなり遠くからゴトゴトいう音が聞こえ、それがどんどん近くなっては遠ざかり、さらにアパートから1分の所に駅があるため、窓のすぐ横で列車が止まる時など列車の中のアナウンスまで聞こえ、様々な音のオンパレードだった。

予約当初からアパートの説明には、「窓のすぐ傍に線路が通っているため、眠りの浅い人は予約しないように」という注意書きがあったので、責任はもちろん自らの眠りの深さを過信していた我々にあるが、宿泊先を替えてからも、列車が遠くを走っている音を聞くだけで、ベッドの中で(「聞いた」のではなく)「感じた」線路と列車の揺れが体内に蘇ってくるのだった。

アパートに着いて窓の外を見た途端、線路のあまりの近さに愕然としていた夫は、起きている時も落ち着かない様子。毎晩、うつらうつらとしか寝ていなかった模様だった。私のほうは、夜中の1時から4時ぐらいは2本の路線が止まり、ある程度静かになってくれるおかげで、耳栓をしてその時間帯に眠りにつけば朝まで眠れるし、昼間の騒音には徐々に慣れてしまったが、それでも何か心落ち着かない。

アパート建物の階段ホールから見たループ

滞在の後半には夫はミーティングがあるので、このままでは体力がもたないのではないかと考え始めていたところ、さらなる事件が起き、即刻、宿の移動を決意したのだった。

その事件とはガス漏れである。

アパートに到着した時から、かすかにガスの臭いがするのに気づいていたが、移動の疲れもあり、音のほうに気を取られていたため、深く考えていなかった。しかし、3日目にガスの臭いが強くなったので臭いの元を探ってみると、オーブンが原因。すぐにキッチンのガスの元栓を止めたが、それでもまだ臭う…と思っていると、(この季節は使用していない)暖房機からも漏れている。

もうこの辺りでかなりウンザリしてきた我々は、騒音もガス漏れもない心穏やかに泊まれるホテルがあれば、どこでも今すぐ移動したいという気持ちになる。

幸い、このアパートメントはキャンセルしても半額が戻ってくる宿泊先だった。元々かなり高い料金だったので、キャンセルは好ましくない選択だが、もう倹約している場合ではない状況。さらにPricelineで「予約するまではどのホテルになるかは分からない」というミステリアスツアーのような安価なホテル直前予約を発見!どのような場所があてがわれるのか怖い気持ちはあったが、線路の真横よりはマシであろうとループ内の高級ホテルに予約を入れた。

そして、予約直後にメールで送信されてきたホテル名を見ると、本当に高級ホテルであった!しかも、ループの中心にあり、博物館や美術館、レストランなど全てに近い便利な場所。通常料金の5分の1でそうした素敵なホテルに泊まれるとは、Pricelineもなかなかのものである。結果的に、アパートに最後まで宿泊するより安く滞在でき、万々歳であった。

今回は結果オーライとなった宿替えだったが、Airbnbの利用については今後、もう少し慎重になったほうが良いかもしれないという気がした。昨年、NYCで泊まったアパートではベッドが柔らかすぎて眠れなかったし、連続してAirbnbでマイナスの結果が出てしまっている。

日本では民泊絡みの規制が厳しくなり、つい最近、宿の登録数が激減したAirbnbだが、昨年あたりから宿泊先だけではなく「体験」などさまざまな方向に事業を拡大しているAirbnb。コミュニティが大きくなるほど、以前に比べて多種多様な人が参入し、泊める側も泊まる側も基準がまちまちになっているのではないだろうか。

レビューもあまり参考にはならない。ホテルのような組織が相手ではないため、感想を述べる時にもAirbnbでは皆が相手の気持ちに配慮する傾向にあるし、何よりも家ごとに違いがあるのが当然であるため、好き嫌いにより、感想は非常に主観的なものとならざるをえない。もちろん、ホテルでもレビューは基本的に主観的なものだが、ホテルの場合、同じ建物の中の別の部屋、同じ地域の別のホテル、同じ料金枠内のホテル、など他に比較して感想を述べられる対象が存在する一方、Airbnbでは各宿泊先がユニークであることが特徴であるため、「客観的なレビュー」というものが最初から完璧に否定されているに等しい。

2度、Airbnbで思わしくない体験をしてしまったが、今後も特に子ども連れの際にはホテルよりも便利であるため、Airbnbを使い続けることだろうとは思う。会社が大きくなるにつれ、以前に比べてルーズになったと感じさせないような事業展開を今後も続けて欲しいと願っている。

部屋の窓から見た風景。窓を開ければすぐ手の届く場所に高電圧の線路が走っているが、自殺を含め、事故は起きないのだろうか?

 

初シカゴ

March for ScienceのサテライトマーチでVPを務める夫がシカゴで行われたサミットに参加したため、独立記念日に合わせて私も便乗旅行をした。私の頭は、映画『アンタッチャブル』やTVドラマ『ER』のイメージで染まっているシカゴという街だったが、実際にはアル・カポネ風の人にも出会わなければ、マークのようなお医者さんの姿も見なかった。そういう場所に行かなかったというだけの話であるが…

実際、救急車やパトカーの行き交う数はNYCより多いように感じたし、治安が良いようにも思えなかったので、ドラマや映画のネタは沢山存在しているのだろう。観光客の多いループ周辺しか行かなかったにもかかわらず、カフェや電車の中で頻繁にお金のみならず食べ物を求めてくるホームレスの人々に出会ったし、路上で知り合い同士かどうか分からないが、暴力的な喧嘩を発展させている人々も数回見かけた。90年代にNYCに行った時にこんな風景だったなと思い出しながら、シカゴの抱える深刻な社会問題を垣間見た。

美しい街とは決して言えないシカゴだが、まあ、とにかく都会好きな私は、今回も大都会独特の躍動感を楽しませてもらった。そして、2週間経った今も「都会シック」中。

自分の暮らすRochesterも不便のない良い都市だが、私には何かが足りない。この「何かが」何であるのか、今回つくづくと考えてみたが、やはり不特定多数の人が生み出すエネルギーだろうか。何かのフェスティバルなどが行われるとRochesterでも「人混み」はできるが、私はそうした特別な行事の時ではなく、普段の日常の中で不特定多数の人々に囲まれないと物足りないのである。車で目的地に到着して初めて(友人であったりスーパーの係員であったりする)人々に出会うだけではなく、目的地と自宅との間にも他者の存在がないと退屈である。

特別に社交的な性格でもないので、こんなに人が恋しいというのもおかしな話であるが、見知らぬ人と交流をしたくてたまらないというのではない。不特定の人々が(全員が個々に違うことをしていても)大勢いる場所に存在するバイタリティが大都会には満ち満ちているのが嬉しいのだろう。

そして、もちろん、大勢の人々がいるからこそ、簡単にいつでも人間ウォッチングもできる。都会はファッションセンスもやはり違うので、自分がお洒落をしなくとも、他人のファッションを見ているだけで楽しい。あいにく我が街Rochesterはファッション面では垢ぬけた場所とは言えない。普段の買い物など、ベッドから出てそのまま来たのかと思うような人も沢山いるため、少しお洒落な服を着ただけで、近所の人から「特別なイベントがあるのか」と質問されてしまう。よって私自身も周囲に流されてパジャマ的衣類が普段着となりつつある。お洒落というのは、一人で楽しめるものではないとつくづく思う。

シカゴでは周りの都会人に触発されて、不必要にショッピングまでしてしまった。その場で着るには着甲斐のあるサマードレスたちであるが、こんなに沢山どうしたものか?第一、自宅で仕事をしているので、あまり衣装は要らないのだが…来年も大都会に遊びに行くしかない、と一人で画策中。

あの活力溢れる空気を吸ったおかげで、数ヵ月はまた元気に仕事が頑張れそうである。旅行中はハプニングも色々あったが、旅は良いものである。特に大都市への旅行は最高!

Lincoln Parkから見たダウンタウン