月別アーカイブ: 6月 2017

この半年

ブログをもっと頻繁にアップしたいと思いつつも、仕事が忙しかったり精神的にブログに向かう余裕がなかったりで、今年もあと少しとなってしまった。私自身に大きな変化があったというわけではないが、家族が色々と変調を来たし、またアメリカや日本を初め、世界でさまざまな政変があり、一喜五~十憂といった日々である。この半年を振り返ると・・・

1月

トランプがアメリカ大統領になった。難民の入国拒否を初めとして、刻々と移り変わるニュースから目を離せない非常に暗い時代の到来。私も夫と共に地元で行われたWomen’s Marchのサテライト集会に参加。生まれて初めての政治集会参加である。このマーチには私のような初心者が沢山いた。それだけ、トランプが大統領になったということに危機感を覚えた人が多いということである。私の住む街も含め、各地で続々と市民グループが出来上がった。公民権運動時代からさまざまな運動に関わっている人も、今回が初めての人も、皆が民主主義を守るためにさまざまな違いを乗り超えて目標を達成しようとしている。その懸命な空気に希望を感じた。と同時にオバマ大統領の遺産があっという間に崩されていくのを見て恐怖感に襲われた2017年最初の月であった。

2月

半年ぐらい鬱状態が続いていた夫であるが、勤め先での諸変化やホワイトハウスから吹き荒れる風、さらには処方薬が変わったことなどから、仕事もさることながら日常生活にも支障が出始めた。それでも騙し騙し日々をやり過ごし、3月から短期療養休暇を取ることにして、月末にはカリフォルニア出張(+数日の休暇旅行)を決行。出張先ではそこそこ元気に仕事を遂行した夫であったが、旅の準備段階から色々と心配が重なっていた私のほうが、出張中に自動車で事故を起こしてしまった。車に乗り始めて4年―40歳台になってから覚えた技であるので、まだまだ定着しているとは言い難い。私のような初心者は、疲れてボンヤリしている時に見知らぬ都会で運転する際は、注意に注意を重ねなくては!エアバッグが破裂したあの時の恐怖感、「誰も怪我をしなくて良かった」と思ったあの瞬間の気持ちなど、きちんと心に刻み付けておこうと思う。

事故後、少し運転をするのが怖かったが、そうは言っても日用必需品の車を避ける訳にはいかない。「冷静に、冷静に」と自分を騙しながら、翌々日にはマンザナー強制収容所を目指して車で北上した。長い間訪問したいと思っていた場所だったが、トランプの移民排斥の風潮を目の当たりにして、今回は訪問が必須だと感じた。収容所でなければ自然が美しい場所である。改めて、人の歴史がすぐに狂気へと走る傾向のあることに気づかされる。

3月

夫の6週間の短期療養生活がスタート。だが、保険会社はスムーズに療養させてはくれない。毎週のように提出する書類が山のように到着し、電話で何度も病状説明をしなくてはならない。病気の人をより病気にしてしまうようなシステムである。さらには、継娘の登校拒否や鬱も(ここ数年の問題で、突然発生したわけではないが)この時期にひどくなり、夫は休む暇がない。勤務先の仕事の代わりに雑用が5倍ぐらい、どっと増えたような具合である。保険についても継娘についても、夫でないと処理できない問題が山積し、自分の鬱を治すどころではない。

そうこうしている内に、継娘の精神科医から、現在通っている学校が合っていないようなので、可能であるなら引越し(+学区替え)を検討するのはどうかと提案が出た。9月から彼女は高校に入るので、学区を替えるには良い時期であるが、そのような近い将来の引越しは考えていなかったし、夫は休職中であるし、どうしたものか・・・だが、継娘本人は引越し、転校に非常に前向きであるので、彼女がそれで快方に向かうのであればと願いつつ、賃貸物件を探し始めた。

そして、その矢先にある日、夫が「心臓付近が痛い」と言う。心臓や肺に問題があるのかと念のためERに一晩泊まって検査を受けたが、どこにも異常がなかった。おそらくは心因性のものだったのだろう。「念のために」と言われて救急車に乗って出たのだが、日本と違って無料ではない。保険でもカバーされずお高くついた。何もなかったので良かったが、あの救急車は不必要であった(と今でも思う)。

次から次へと私ではどうにも手伝えないことが続出して、さらに、夫が毎日家に居るという状況にも慣れられず、私も精神的に消耗させられる1ヶ月だった。

4月

引越し先探し、そして、夫は月の最後に行われたMarch for Scienceの準備に追われる1ヶ月。仕事はしなくても政治活動は出来るのかと思われそうだが、夫にとっては、鬱状態にあっても唯一情熱を傾けられるものが、政治活動のようである。彼が家から出る機会を与えてくれる、そうした活動の場が存在してくれるのは有難い。昨今の政治情勢のために意気消沈もさせられつつも、社会との繋がりを密接に感じられるこうした運動のおかげで、彼はエネルギーを取り戻せる様子である。

一方、継娘のほうはますます登校ができなくなる。ここ数年、この時期は彼女にとって1番辛い時期だったが、今年は年齢的なこともあるのだろう。昨年以前に増して鬱状態が悪化し、欠席・遅刻が多くなった。そして、こうした病状のために、この月に予定されていたワシントンD.C.へのスクールトリップには連れて行けない、というお達しが学校側から届く。その通告が彼女の1週間の春休み前に届いたので、急遽、落胆する継娘のためにワシントンD.C.へと家族旅行。

初めてのワシントンD.C.の感想は「全てが大きい」ということに尽きる。アメリカの偉大さを自慢するかのように立ち並ぶ記念碑や各種の建物、一つ一つが巨大である。そして、NYCのようにゴミゴミしておらず、アメリカの他の都市に比べて清潔感が漂う。さすが首都だと思ったが、個人的にはNYCのエネルギッシュな雰囲気のほうが好きである。あるいは、今回の旅行では疲れていたのでそう感じただけか・・・とにかく、突如強行した旅行であった上に、夫も継娘も調子がイマイチであるため、普段より神経をすり減らす4日間となったことは否めない。

旅行途中、ある賃貸物件の事務所から部屋を見にこないかという電話。地元に戻ってすぐに見学に行き、思っていた以上に良い部屋なので7月の引越しを即決した。ようやく一つ大きな結果が出せて安堵である。

5月

夫の鬱状態は改善されず、会社に戻ることは全く無理な様子。そこで短期療養休暇から長期療養休暇へとスイッチしてもらう。この作業が再び、数多くの書類や電話連絡を伴うもので、夫の休養時間を蝕む。短期と長期では扱う保険会社も違い、長期になると給与は保険会社から出されるようになるなど、休暇を取ってみないと知らないことだらけ。こうした処理が面倒だから休暇を取らないという人もあるのではないかと感じてしまう。

継娘のほうは、1ヶ月ほど「半入院」状態に。病院で寝起きをするのではなく、自宅から毎日大学病院に通って、入院している子どもと一緒にプログラムを受けるというものである。これには個別カウンセリング、集団カウンセリングなど親もかなり参加する機会が増えるので、夫も出席しなくてはならないことが多々。よって彼自身がゆっくり休息を取ることは再び皆無となってしまった。通常とは違うプログラムであるため、こちらの方でも保険に関する諸手続きがややこしく、この作業も全てが夫の肩にかかってしまい、娘の精神状態を考えるのみならず、諸雑用に忙しくなる。

継娘の自傷行為が認められたため、家の中でも切れ物などの保管に通常以上の注意を向けなくてはならず、特別プログラムを受けているというだけで、彼女はいつもにも増して精神的に不安定。家族中が常に雲の影の下をうごめいているような状況で、正直なところ、私も辛かった。自分は健康なのだから、イライラせずに温かく傍で出来ることをしてあげないと、と思いつつも、自分までも理由もなく気分が滅入るのが分かる。

自分が鬱に引き込まれないようにと気分転換(=仕事)をするだけで精一杯の1ヶ月だったような気がする。

6月

継娘は月初めに通常の学校生活に戻ったが、精神科に半入院した後に普通の生活に戻るのも、これまた大変な様子。幸い、今日でようやく学校が終わるので、夏休みになれば少し気分的に楽になってくれることだろう。夫は今月もまだ療養中である。インフルエンザのように昨日まで熱が出ていたのに、それがあっという間に終息した、というような治り方はしないのが鬱であるから、徐々に回復はしているのかもしれない。あるいは、まだまだ回復には長い道のりなのかもしれない。

私はあと1週間で自分のオフィスにサヨナラを言う必要があるため、感傷に浸っている最中。結婚してすぐに仕事が入る前から夫が用意してくれたオフィスだが、引越しに伴って(次の家ではスペースが広いため+家賃も上がるため)オフィスを去ることにした。自分で決めたこととは言え、「自分の仕事場」と呼べる空間がなくなるのは不安である。通勤という生活形態がなくなるのも不安である。家でもきちんと仕事がこなせるのだろうか?家に閉じ込められたような気分にならないだろうか?色々と否定的な想像をしてしまう。

だが、無くなるものは無くなるのだから仕方がない。未練を持つより、新居での生活に希望を見出すほうが大切である。ということで、少しずつ荷造りを進めよう。

夫も継娘も1ヵ月後、2ヵ月後にどんな病状なのか全く予想がつかないのが現実で、引越し自体、転校自体が2人にどう影響するのかも分からないが、とにもかくにも家族全員が倒れてしまっては大変である。夏の間もうまく息抜きを心がけて、少しでも穏やかな家庭の雰囲気作りに心を尽くさなければと感じている。