2016年度 年末雑感

今年もあと1日。12月初めに旅行から戻った途端に、マンハッタンの雑踏からもらってきた風邪のウイルス菌にやられ、風邪は数日で治ったものの、咳が残ったままである。この季節は比較的、仕事が少ない時期であるので、普段より頻繁にジムに行こうなどと心に決めていたが、運動どころでない。家事以外で動かないため、体が鈍っているのが目に見えて分かり、腹立たしい。

さて、この年末は世の多くの人々同様、私も妙に気が沈む。刻々と2017年の大統領就任式が近づいると思うと、不安が募るばかりである。アメリカに住み始めて4年。様々な問題点は噴出するにしろ(多くは、議会共和党員の妨害に起因するものであったが)オバマ大統領に任せておけば、彼は少なくともアメリカの社会を、明るい方向に牽引してくれた。市民による大統領の言動チェックがなくとも、品位を持って粛々と役目を果たしてくれた。

だが、そんな安穏とした時代ももうすぐ終わり。今後の4年は、大統領の言動(トランプはツイートするのがメインの仕事で、実際の「動」の部分は取り巻き陣の仕事かもしれない)を目を皿の様にして監視しておかなくてはならなくなる。まさに、「一寸先は闇」の世界の到来である。その闇に何があるのか、日頃の不勉強のせいで、なかなか把握がままならない私のような者には、かなり恐ろしい状況であるが、不安を抱くだけでは、知らない間に飛んでもない社会になっていきそうである。自分の力の及ぶ限りの範囲で、自分と家族の生活、社会、より良き将来のために思考し、思考を行動に移していかなくてはならない。

こうした不安や憤りなどに振り回されがちな11月以降を送っているが、それでも一つ言えるのは、こうした不愉快な感情を持ち得るのも、私がこの世に生きている証拠だということ。もちろん、生き地獄という言葉があるように、生きているより死んだほうがマシな状況に生きる人もいるわけで、生きているから幸せとも一概には言えない。だが、暖かい部屋でお茶をすすりながらブログを書ける、現在の唯一の悩みは咳だけ、という平和な暮らしを送れる私は、「生」に対してもっと畏敬の念を払うべきだろう。

こうしたことを例年に比べて今年は強く感じざるをえない。というのも、大学時代の同級生が1月に癌で他界したからである。

私より8か月前に結婚した彼女だったが、結婚生活が始まって間もなく体調を崩し、そのままガン切除の手術を受けた。最後に出会ったのは、私が渡米する前。実家に戻って療養生活をしている最中で、体力的に辛そうだったが、痛みをおして私に出会いに来てくれた。その後、実家から自宅に戻ったが、その生活も数カ月しか続かず。私が2015年の夏に一時帰国した頃には再び入院中で、「次に帰国した時にはぜひ出会ってね」と言われ、出会わずじまいとなった。

その後、11月には彼女の誕生日があり、12月には私の誕生日にクリスマス。20年以上にわたり、出会えない時も、誕生日のお祝いや季節の挨拶をお互いに欠かすことはなかった。だが、去年は彼女の誕生日の後にも、「プレゼントが届いた」メールも入らず、クリスマスを過ぎてもお正月を過ぎても彼女からの連絡はなかった。彼女の結婚後すぐに渡米したため、ご主人とも親しくなっておらず、嫌な予感がする中で数カ月を過ごした。

そして、4月の終わり頃にお母さまから手紙が届いた。「今年1月8日にA子が亡くなりました」と。そこには、最初の入院時に私が送ったカーディガンを彼女が最後まで毎日着ていたこと、私が過去に送った手紙やカードをお守りのようにベッドサイドに置いていたことなどが綴られていた。

率直なところ、このブログ記事を書いている間も、まだ彼女が亡くなったことが信じられないのが本音である。最後の数年、地理的に離れていたため、彼女が病気と闘っていた時の姿も見ていないし、葬儀にも出ていない。肉体的に彼女がこの世に存在しないことを確かめられなかったため、訃報を聞いてもイメージが湧かないのである。「寂しい」という思いはあるが、それとは違う不可思議な感覚にとらわれたままである。おそらくは、次回、日本に戻り、彼女の墓前に立った時に彼女の不在を実際に体感することになるのだろう。

それにしても、彼女はまだまだやりたいことが沢山あったことだろう。学生時代から真面目だったが、就職してからも、夜、家に戻ってから翻訳の独学を続けていた。(図らずも、私のほうが先に翻訳業に就いてしまったが、彼女が生きていれば、今頃、実務的な話ができていたことだろう。)その後は、翻訳の勉強と並行して、姪や甥の誕生と共に子どもの教育にも興味を持ち、こちらも独学の末、見事に保育士試験に合格した。そして、結婚をして新しい家族を持ち始めたところだった。家庭の中でも外でも、やり残した事ばかりであったと思う。思いもよらぬ病気のために、こんなに早く世を去らなくてはならないとは、悔しかったことだろう。

思い返せば、彼女と一緒にお茶をしながら、大学時代に教えてもらった先生方が数人、若くして他界されたこと(50~60才台)について話をしたのは数年前。「先生たち、激務で疲れてはったんかなぁ?」とのんびりとした口調で彼女が言ったのを覚えている。あの時、彼女は自分がすぐに同様に鬼籍に入るとは想像もしていなかっただろう。今、私は彼女に対して同じ質問を投げかけたい。「あの先生たちより若くして逝っちゃったけど、A子ちゃん、疲れてた?」と。

人を含めて生き物の「生」というのは、本当に不規則で不公平なものであると、今だ現実味の湧かない彼女の死によって、私はまざまざと見せつけられているような気がする。不公平感満載の、最後まで不確実な人の「生」であるが、それにもかかわらず、それぞれに与えられた「生」を最後まで続行しなくてはならないのも事実。それならば、なるべく楽しく、愉快に過ごしたいものである。「友人の分まで生きる」などとおこがましいことを言える立場ではないが、歴史の一部分を彼女よりも少し長く見られる者として、その幸運に感謝しつつ2017年の幕を開けたいと思う。

Happy New Year to you all!

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フィンランド駆け足記録2

13日目

眠い目をこすりながらベッドから出ると、コテージの前に素晴らしく清々しい湖の景色が広がっている。夫も継娘も起きてくる気配がないので、一人で朝の気持ち良い空気を沢山吸う。

このコテージには、母屋の中には電気式のサウナがあり、外には別の棟でサウナ棟があった。こちらは薪を使って温める本格的なもの。残念ながら、のんびりする時間がない私たちは電気式のものしか使う余裕がなかったが、フィンランドっ子はサウナで体を温めては、この湖に裸で飛び込むのだろうと想像する。

この日、私は友人と出会う約束をしていたので、11時に彼女にピックアップしてもらう。彼女とは10代以来の友人である。最初はペンパルとして紙媒体で友情を育み、その後、私がイギリスに出かけた時に一緒にロンドンを廻り、7年前にはフィンランドの彼女と家族が住む家にも滞在させてもらった。近年はネット上で常に繋がっている状態なので、昔に比べると離れた距離にいる気がしない。今回も先月辺りに出会ったかのような感覚で、サヴォンリンナのカフェでお茶をしたり、散歩をしたりして、近況を伝え合った。

午後2時をまわり、友人が1時間離れた彼女の町に戻る時間が来るが、夫にテキストを送っても一向に返事がない。仕方がないので再びコテージまで送ってもらうと、夫たちは出かける準備をかろうじて完了したところ。友人が去った後、4時前にようやく観光に出発した次第だった。

しかーし!フィンランドでは8月の終わりと言えば初秋である。地元の学校は8月中旬から学校がすでに始まっており、サマーシーズンではない。オラヴィ城の内部見学をするつもりだったが、この日は見事に3時に閉館していた。私は前回のフィンランド訪問で中を見ているので良いが、夫も継娘もはるばる尋ねた城の見学チャンスを逃すことに。結局、城の周辺部でまだ開放されている場所を数分歩き、お茶をするだけでこの日は終わってしまった。観光面では多いに不発の午後である。

夜は1時間ほどゆったりとサウナを楽しむ。サウナに毎日入れたら最高だっただろうが、移動のし過ぎで時間がなく、この日しかサウナは体験できず。残念なことである。

 

14日目

再び移動である。東のサヴォンリンナから西の海岸沿いにあるラウマまで、途中休憩を入れて12時間のドライブとなった。そして、この日は生憎、いずれの地方でも雨。ドライブをする間、都市毎に変わる景色を楽しめるかと思っていたが、車窓外が見えない程の雨が降る時もある。ひたすらワイパーの音を聞きながら前進するのみである。

ラウマではファームハウスに宿泊したが、ここが私としては最高であった。ファームハウスという名とは裏腹に、シャワーや(私たちが使う時間のなかった)サウナ、洗濯機(& 乾燥機!)、キッチン、エアコンなど全てが最新鋭のハイテクで、なおかつ、19世紀の雰囲気が漂う落ち着いたデコールになっている。隣の棟に住むオーナーも非常に親しみやすく、到着すると私たちに農場の歴史など写真を見ながら語ってくれた。ここに1週間滞在できていたら、今回の旅はずっと違うものになっていたのになぁ、とついつい考えてしまう。

 

15日目

前日の長いドライブ疲れで3人ともど~んより気分。計画としては中世都市のラウマを観光し、その後、夫の縁者の家に出かけるはずだったが、体力的に無理であった。ラウマ観光は削除し(何のためにラウマに泊まったのか分からない)、昼過ぎにかけて縁者の家に向かうことに。

これがまた、ラウマから2時間近くのドライブである。フィンランド南部のトゥルクやナーンタリなど有名な都市のある地域の西側海上に、小さな島が沢山浮かんでいるが、その一つの島にあるリュメッティラという町に向かう。

私の夫はフィンランド人の血筋であるため、若い頃に2度フィンランドに長く逗留したことがある。10代の時にホームステイをした遠い親戚先が、この日訪れた家庭である。コーヒー好きのフィンランド人。この日もアフタヌーンティーならぬアフタヌーン・コーヒーとデザートで私たちを迎えてくれた。若い時の夫を知る彼らの友人や、近所に住む他の親戚家族も訪ねてきてくれており、(時折、ほとんど忘れたフィンランド語で夫が話をする時以外は)主に英語で楽しい語らいの時となった。

コーヒーの後は、その家族が開発に関わったマリーナに案内してもらい、次は訪ねて来てくれていたもう一夫婦のお宅にもお邪魔する。夫がティーンの時に彼の世話をした人たちであるので、当然のことながら、私の親世代であるが、フィンランド以外の世界についても造詣の深い、話していて楽しい人々だった。シャイな継娘は一人で黙々とイラストを描きまくっていたが、彼女にも温かい眼差しで接してくれたことに感謝である。

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16日目

フィンランド最後の日。この日はもう一軒、別の遠い親戚からランチに招待を受けていた。(ちなみに、夫の近い親戚は皆、アメリカに渡ってきた人々ということになる。)ラウマより北に向けて30分のドライブで到着。彼女は親戚の系図作りに10代の頃から取り組んできた人物で、彼女のおかげで、アメリカにいる夫たちもフィンランドの古い親戚とさらに繋がりを深められるようになったらしい。

彼女をピックアップした後、彼女のご両親の家でランチをさせてもらう。ベジタリアンの私たちに合わせた料理を用意してもらい、有り難いことである。ただ、私たちはフィンランド語を理解できず、このご両親は英語を理解できず、という中で、さらにはフィンランド人に典型的な寡黙な方たちであったため(打ち解けるまでに時間がかかる一般的日本人に通じるところのある特徴)、沈黙の瞬間が何度も流れるのには閉口した。初歩的なフィンランド語を勉強しておくのだったと痛感した時間である。

ちなみに、フィンランド(あるいは北欧)では若い世代(60歳代以下)は高卒でも英語を流暢に話せる人が大勢いるため、英語が話せる限り、旅行をしていても不自由は感じない。フィンランドの教育レベルの高さを感じさせられる一面である。

庭には蝶が舞い踊っていた

庭には蝶が舞い踊っていた

彼らの元でランチを終えてからは、飛行機でスウェーデンまで戻らなくてはならないため、ヘルシンキに向かって一路南下すること3時間。この日はお天気にも恵まれ、心地よいドライブとなったが、途中の町で車を降りて、少しでも観光する時間が持てていたらと残念である。

夜8時過ぎの便で無事にストックホルム行きの飛行機に搭乗。1時間程度の短いフライトではあるが、ドライブ疲れで爆睡したのは言うまでもない。

 

17日目

すでにフィンランド記録「外」であるが、最終の夜はストックホルムの飛行場近くのホテルに宿泊し、3時間も眠らないうちに起き、暗いうちに再び飛行場に向かった。JFKに向かう飛行機では、朝の明るい光が差し込む中、なかなか眠れず、あまり睡眠と取らないうちにアメリカに戻ってきてしまった。最後まで移動でバタバタし通しの旅行であった。

ただ、昨年の日本への旅行とは異なり、継娘が穏やかだったので、父娘喧嘩がほとんど起きず、その点では疲れ方が違っていたかもしれない。彼女の食にまつわる心配は事欠かないもの、こちら側も事前に食材を持参するなど、対策も万全に行ったため、意外にスムーズだった。フィンランドで夕ご飯にワッフルかパンケーキを食べたいと毎晩のように要請されたのには参ったが・・・そうしたカフェ的なものはフィンランドでは夕方までには閉まってしまう。24時間何でもあり、というのはアメリカと日本の文化的傾向なのだと改めて感じさせられる。

3人が疲労で倒れることなく戻って来れたことで良しとせねばならないが、今後は、密に移動計画を立てて、時間を無駄にすることのない旅行を行いたいものである。

フィンランド駆け足記録1

9日目

ストックホルムの宿を朝6時過ぎに発ち、飛行機でフィンランドはヘルシンキへ。午前10時半には到着できるので、ようやく休暇に入った夫も共に、すぐに観光をする予定だったが、継娘がストックホルムの空港に着いた時点で気分が悪くなり、状況がどんどん悪化する。前夜からの寝不足がたたったらしい。天気も良く、観光には最適な日だったが、泣く泣く早目にアパートに入り、休養の1日とする。

ヘルシンキで借りたアパートは、20世紀初期の建物と言うところだろうか。フィンランドにはよくあるが、エレベーターの入り口に手動で開く扉がついているもので、2人乗るとギリギリの小さなものであるため、スーツケースの運搬には何度も上下しなくてはならなかった。カンピ・センターのすぐ近くで、食料品の買い出しには便利な場所だが、案の定、ここの洗濯機にも乾燥機がついていないことが判明。少しずつ洗濯しなくては室内では乾きそうもないので、到着して早々に私は洗濯おばさんに化す。

10日目

前日の疲れが尾を引き、スロースタート。午後後半にようやく宿を出て、現代美術館キアズマへ。私はヘルシンキは2回目の訪問だが、前回は行けなかった美術館の一つである。新奇な発想に堪能する。

その後、エスプラナードに向かって歩いていると、ついにスタバを発見。継娘はスタバかティム・ホートンでなければ、カフェでも何も口にしないタチであるので、勿論、立ち寄ることになった。アメリカを発ってから1週間以上ぶりのスタバである。

スタバでくつろいでいると、夫の遠い親戚の男性から連絡が入る。ヘルシンキに入ってから、夫がにわかに数人の親戚・縁者に出会えないかと打診を試みていたが、それに対する最初の返信であった。「30分後に出会おう」という電撃回答で、瞬く間に車でピックアップしてくれた。

そして、連れて行ってくれたのはマルミ空港。現在、ヘルシンキの主要国際空港はヴァンターであるが、ヴァンターが出来る前はマルミが主要空港だったようである。歴史的にも価値のあるマルミが廃止される危機に陥っており、彼はその反対活動に参加している。その日も会議があるということで、会議の前に私たち3人に飛行場を案内してくれたのだが、彼にとってはヘルシンキで現在、1番ツボな場所のようであった。夫が10数年ぶりに出会う遠い親戚と突如出会うことになり、行き先は観光地から離れた飛行場・・・面白い体験である。

 

11日目

ようやく朝から旅行者気分となってきた3人・・・だが、天気のほうが私たちに優しくない。しとしとと雨が降る中、大聖堂のある方向へと町を歩く。個人的にはストックホルムより好きな都市である。

この日、目指したのはスオメンリンナ島。継娘の希望でおもちゃ博物館と軍事博物館を訪問した。要塞として大切な役割を担ってきたこの島には、今でも海軍演習地や軍関連の建物が多い。

夕方、島を去る頃になり、ようやく陽がさしてきた。ところどころ、葉を赤く染めた木が点在する、初秋の気配漂うスオメンリンナであった。ヘルシンキ市内に戻ると、ベンダーで美味しそうなフルーツが売られているのを発見。スーパーのものより確実に美味しそうであるため、つい大量にベリー類を買ってしまう。

ちなみに、昨年の日本旅行と違い、継娘が博物館や美術館を嫌がらずに、というより興味のある所には率先して行くようになってくれたので、今回は非常にスムーズに事が運んだ。1年で随分成長するものだなぁという思いである。

 

12日目

もっとヘルシンキ観光をしたかったが、未消化のうちに後ろ髪を引かれながら次なる地、サヴォンリンナへ。東部の湖の多い地域である。そこまで車で約6時間・・・とグーグルマップは教えてくれたが、そうは問屋が卸さない。ロシア国境に1番近い所をドライブしたいという夫の立っての願いもあり、進路を少し変更したことも重なり、8時間近いドライブとなった。その間、ロシアとの国境検問所まで行ったわけでもないので、ロシアのナンバープレートの車が多いなぁということぐらいしかロシアとの距離が近いことを教えてくれるものはない。ただただ、木々を眺めながらのドライブである。

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サヴォンリンナの町の中心から15分ぐらいの場所にある、湖に面したコテージをここでは借りたが、地図にも載っていない道なき道を行かなくてはならないため、コテージを探し出すのに一苦労。翌朝、周囲の環境を見渡すと、限りなく素晴らしい景色が広がっていることに気づくのだが、到着時には暗くて何も見えず。三者三様に移動だけで疲れ切って幕を閉じた1日となった。

スウェーデン駆け足記録2

7日目

最高に寝不足のまま、早朝から夫は会議に出勤。私は些細なことだが、アパートに乾燥機がついていないことを発見して愕然とする。アメリカの感覚で「洗濯機」のマークがついているアパートには、当然、乾燥機もついているものと思い込んでいたが、北欧も日本と同じで、乾燥機はそれ程当たり前のことではないらしい。3人分の1週間の洗濯物を、雨の降る涼しいストックホルムで2日で乾かすには無理がありそう・・・朝から憂鬱に。

それでも、横には乾燥機の憂いなど気にしないティーンがいるので、ひとまず悩みを横において、観光に。目指すはアパートから徒歩5分の王宮。衛兵の交代を見たいと考えていたが、30分前に到着したのに長蛇の観光客の列。ロープが貼られて、一人の衛兵が忙しく観光客の整理をしているが、良い写真が撮れるであろう場所はすでに満員で、他の観光客の後ろにしか並べない。その上、雨が激しく降っているため、(自分もであるが)傘をさす人が大勢で、そのために余計にスペースがない。

それでも、せっかく来たのだからと30分待った。よく考えれば、近くに宿泊しているのだから翌日に戻ってくれば良かったのだが、寝不足の頭では考えられなかった。(旅行中の寝不足は損をすること間違いなし。)雨がしとしと降る中、自分と同じ大勢の観光客を眺めながら退屈な30分を過ごす。

そして、ついに音楽が遠くから聞こえてきた!

だが、どこで演奏されているのか分からない。スウェーデンのマーチが心地よく響き渡っていて、それはそれで楽しいのだが、音楽だけが移動していて、現物の楽隊は見えない。前列の観光客たちがカメラを向けているので、そっちの方向なのだろうとカメラだけを高く掲げて写真を撮ってみると、撮れた(笑)!背が高い人は私の後ろからでも見れるようだったが、こういう時に小さいのはつくづく損だと思う。

衛兵交代はあっという間に終わった(模様)。楽隊の音楽が私たちのいる方向に近づいてくるので、「ようやく至近距離で見られる!」と思ったのもつかの間、少し手間で違う方向に去って行ってしまった。衛兵交代をしっかりと見たいのならば、1時間前には広場に到着しておくほうが良さそうである。

この後、王宮の内部を見学。王宮であるので、もちろん豪華絢爛だが、中にはIKEAっぽい雰囲気に整えられた部屋などあり、さすがスウェーデン。王宮から出てくると、衛兵が真横を歩いてきた。当然のことだが、衛兵交代は1日1度ではない。1度大きなセレモニーがある時には楽隊が参加するだけで、他の時間にも地味に交代しているのである。あんなに必死な思いで人込みの中で待たなくても良かったか、と少し後悔した。

この後は、旅の間もイラストを描くのに忙しい継娘がマーカーがなくなったというので、地下鉄でエステルマルムにあるお店まで。ついでに、彼女のカメラのバッテリーとチャージャーもようやく入手でき、私のカメラで彼女の分まで写真を撮る必要がなくなり楽になった。ショッピング街の続く道を歩いて南下すると、あっという間に徒歩でガムラ・スタンの見える場所まで戻ってきた。地下鉄でも徒歩でもどこにでも行ける・・・都会である(笑)。

 

8日目

この日も夫は朝から仕事。私は同じ時間に起床して、休んでいる継娘を残してコインランドリーへ(爆)。前回の旅でもお世話になったこのコインランドリーは、ストックホルムで1軒しかない貴重なお店である。衣類を運びまわるのが嫌なので、今回は洗濯機のあるアパートを借りたつもりだったのに、乾燥機がないとは大失敗。仕方がないので、再びこのお店にお世話になった。

スーツケースにはち切れんばかりの衣類を詰め、地下鉄を4駅移動する。到着すると、私の荷物を見て、親切な店員さんが私のために2つも洗濯機を開けてくれた。ドルに換算すると全部で20ドルぐらいだが、ストックホルムの物価から考えれば安いほうだろう。それに、洗濯に30分、乾燥に30分というスピードも有り難い。乾燥機に移す時にも戻らなくてはならないので、近所でウロウロしていなくてはならないが、近くにカフェが沢山あるので、空のスーツケースを提げたままの私でも難なく時間潰しができた。

とはいえ、洗濯だけで午前が終わってしまった。特に、天気が良かっただけに、観光ができなかったのは残念なことである。

午後は、ようやく起きてきた継娘の希望で、近くの郵便博物館へ。ここで古い手動タイプライターが自由に使えるようになっており、初めて触れた継娘が夢中になる。30分以上も自分の好きな歌の歌詞を打ちまくり、大きな音をホール中に響き渡らせていた。

夕方は、出張での全ての仕事を完了した夫も共に、徒歩2分でノーベル博物館へ。夜8時まで開いているというのが嬉しい。近い時代のノーベル賞受賞者のことは耳にしているが、それでも知らない人物や、ノーベル賞を受賞していたことを知らなかった人が沢山いる。全く能力の及ばない私だが、刺激を受けたのは間違いない。有名な椅子背面のサインは、一応、ミーハーに日本人のものを探したりなどする。

この夜は、翌日の出発が早いので早く眠らなければならなかったはずだったが、3人揃って自分の欲しいものを食べたいものを口にできるレストランを探しているうちに、夜遅くまで出歩くことになってしまった。その上、週末であるため、アパート付近の店からは深夜を過ぎても音楽や人の声が聞こえ、なかなか寝つけない。再び、全員が寝不足のままの夜を開けることになった。

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1日目

機上で眠れなかったため、普段、夫に一緒に観るのを却下されていた映画を3本立て続けに観る。おかげでストックホルムに到着時はすでにフラフラ状態であるが、まだ午前中。そのまま、夫が運転する車で1時間半ほど南下し、ゴットランドへ向けて4時間のフェリーの旅。ヴィスビーに到着したものの、普段頼っているスマートフォンのナビがないため(そして、紙の地図を用意していなかったため)、Airbnbで予約した家に到着できない。10分足らずで到着するはずのところを1時間近くもかけてようやく発見。大人2人がダウン寸前なのに比べて、お気楽なティーンエイジャーは元気溌剌。普段は食事を抜かすことも多いのに、自分から進んで大きなピザをほおばってくれた。その後、旅行初のスーパーマーケットへの買い出しへ。11時の閉店間際に滑り込みセーフ。

 

2日目

寝不足なのに時差ボケで朝早くに目が覚めてしまう。夫と継娘は起きてくる様子がないため、午前中、一人でヨガなどしてのんびり過ごす。2時頃に継娘がようやくの起床。カメラの電池を充電したまま持ってくるのを忘れたというので、その付近で唯一の小さな電気店に私一人で電池探しに行くが、「中世ウィーク」のヴィスビーの街は大賑わいで、昼過ぎに車を停める場所がない。あきらめて一旦、宿に戻る。

その後、夫はミーティングの研究発表準備が終わっておらず、観光どころではないというので、継娘と2人でヴィスビー観光へ徒歩で。オールドタウンには20分ほどで着く場所に宿泊していたので、車など使わないほうが賢明であった。途中、カメラの電池も探し求めるが、やはり片田舎の島には品物が揃っていない。

ヴィスビーの「中世ウィーク」はこの日が最終日で、催し物はほとんど終わっているようだったが、街には中世のコスチュームを身にまとった人々が大勢歩いており、Kalabalikというバンドの演奏を聞いたり、中世マーケットで買い物ができたりして楽しかった。天気にも恵まれ、海も綺麗に見渡せた夕方の数時間となった。

 

3日目

夫はとうとう徹夜をしてしまった!疲れているようなので、運転を交代し、夫のミーティング先のフォーレ島へ向かう。さらなる離島であるため、さらに小さなフェリーに乗って海を越える。継娘は時差ボケや寝不足で船酔いをしてしまう。

ここの宿舎は3年前に夫に同伴した時に、かなり苦手意識を持った場所だったが、今回もその感は否めず。元スウェーデン軍のキャンプ地だった場所で、私には簡素過ぎる。ただ、今回はネットの繋がりが良く、部屋に鏡がついていた(爆)だけでもマシではあったが、8畳ぐらいの部屋で3人で長時間暮らすのは辛い。この夜は、夫が午前3時ぐらいまで起きて仕事をしていたので、私も継娘も明るくて眠れず。

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4日目

ほとんど眠れないまま朝を迎える。夫はこの日が研究発表であるので、アドレナリン全開で奇妙なハイ状態。私と継娘は眠くてたまらないが、そのまま部屋にいても陰鬱になりそうな空間であるため、体に鞭打って(苦笑)フォーレ島の観光に。3年前は、オートマ車を借りれず、私はどこへも行けなかったので、今回は空港からオートマ車をレンタルした。おかげで、前回の惨めな気持ちには陥らなくて済んだ。

目指すはラウク群。石灰岩の柱が何本も立っていて、人の顔のように見える。海岸沿いの強風が凄まじく、おかげで目がすっかり覚めた。行く途中には、中世の風車の周りで羊が草を食んでいるのが見える。

その後、島で数か所しかないカフェでお茶。カフェの隣にレトロな博物館っぽいものがあった。乾いた喉を癒してから、島の反対側にある灯台へ。小さい島なので、1時間もかけずに車を飛ばせば端から端まで行ける距離だが、天候の移り変わりが激しく、風景が天気によって一変する。

夜には夫が参加する会議主催のオルガンコンサートが近くの教会で催されるが、夫は発表が終わってクタクタ状態(お疲れさま!)。結局、継娘と2人で聞きに行く。

この夜はようやく睡眠不足を取り戻せるかと思いきや、疲れがマックスに達していた夫は、普段にも増して最強パワーのいびきをかいてくれた。おかげで、騒音公害で継娘も私も再びほとんど眠れない状況。

 

5日目

再び寝不足のまま目覚めるが、居心地の悪い小さな2段ベッドで長居する気にもならず、起床。気を取り直して、前日に行けなかったラウクと、もう一つある灯台を見に行く。息をするのが難しいぐらいの強烈な風が吹いていた。そして、やはりこの日も途中では沢山の羊に出会う。

夕方は会議出席者とその家族を対象にしたフォックス・ハンティングが催される。無線機を使った鬼ごっこ的ゲームで、無線エンジニアが大勢参加する会議にはふさわしいゲームである。継娘がぜひとも参加したいというので、何気なく参加。だが、これは玄人の知恵を借りなければ手ごわいゲームだった。宿泊地周辺の森の中を1時間歩き回ったが、全く探し当てられない。前日の疲れで再び夕寝中だった夫に支援を頼んでみるが、寝ぼけ眼。時間切れで3匹中1匹も捕まえられないまま終わってしまった。闇雲に探しても、無線の知識がないとどうにもならないゲームであることが判明した。機械さえあれば誰でもできるポケモンGoとは違う。

夜には最後の少し上質の夕食会がカフェテリアで催され、その後、フォックス・ハンティングの入賞者に賞品が手渡される・・・と思っていたら、参加賞まであった(苦笑)。社交の場が苦手な継娘は参加しておらず、私一人で参加賞をもらいに大勢の人の前で写真撮影までされなければならないことに。ゲームの結果が結果であるだけに、少々恥ずかしい思いであった。

 

6日目

とうとう眠れた夜。夫は午前中もミーティングに出ていたが、継娘と私はようやく長く眠ることができた。そして、昼前に起床した後はバタバタと荷造りをして、ストックホルムへ向かう。翌日も夫は仕事であるため、夕方のフェリーに乗って、元来た道を辿る。天候が悪化しており、波が高くて、継娘は再び船酔い。

夜9時ぐらいにストックホルムの観光中心地であるガムラ・スタン(オールドタウン)に到着する予定だった。というか、到着はした。だが、そこから問題が発生。宿を予約していたアパートメントは、ガムラ・スタンでも1番古い建物を改装した所で、石畳の細い路地に囲まれた地域にある。前もって尋ねてはいたが、予想以上に車で近寄ることができない場所だということが、近づけば近づく程分かった。

遠くに車を停めて荷物を運ぶには、荷物の数が多過ぎる(スーツケース以外にも食料品なども買い込んでいた)ため、なるべく近くまで車で行きたい・・・との思いから、あれこれ試してみるが、元々一方通行の路地が多く、さらには、夜間に工事をしているために行き止まりになっていたり、と意地悪ばかりされる。時にはおそらくは逆走するような違反も犯しながら、小さな地域をグルグル周るが、結局は遠くに停めるしか手がないことを悟る。

そこにも長く停車するのが憚れるため、恐る恐る駐車して、車と宿舎を猛スピードで2往復した頃には11時を過ぎていた。そして、レンタカーを中央駅前に返却するまでには、再び、見知らぬ土地で道に迷い、真夜中を過ぎていたのであった。

教訓:狭い路地の都会で、特に夜には車に乗るべからず。

 

ノマッド生活より帰還

昨晩、17日間のスウェーデン&フィンランド旅行より戻ってきた。ロチェスターは暑い!15度前後の涼しい気候から一気に30度の蒸した気候に戻ってくると、体に堪える。その上、家のクーラーの1つが壊れている!明日には取り換えをしてくれるらしいが、こんな時に限って壊れるとは、身に堪える。

今回の旅行は(も)、移動が多過ぎて私は疲れてしまった。幸い、歯痛のほうは出ずに済んだが、計画段階での反省が残る旅行となった。

旅程を振り返ると、機内1泊→スウェーデン・ゴットランドのヴィスビー2泊→フォーレ島3泊→ストックホルム3泊→フィンランド・ヘルシンキ3泊→サヴォンリンナ2泊→ラウマ2泊→スウェーデン・ストックホルム1泊

スウェーデンは夫が出張目的であったので、チケットの都合上、帰途も必ずストックホルムを通らなくてはならず、さらに、フィンランドでは湖水地方に住む友人も訪ねたいし、諸島沿いに住む夫の縁者も訪ねたいし、もちろん、首都のヘルシンキにも行きたいし、と欲を出したため、短期間で東西を駆けずり回ることになってしまった。

自分たちで計画を立てておきながら、燃え尽きてしまったとは情けないが、特に子ども連れの旅行ではもっと余裕のあるスケジュールにしないと、自分が疲れてしまうのだと実感している。移動に時間を取られることも勿論だが、買い物や食事の手配・準備、洗濯に、勝手が分からない分、自宅にいる時よりずっと忙しくなってしまい、休暇に出かけたのか、新式の家事体験に出かけたのか、笑うに笑えない状況である。

見知らぬ土地で移動をするなら、アパート滞在型の旅行ではなく、ホテル滞在に限ると今回はつくづく感じさせられた。移動するたびに荷ほどきをし、再び荷造りをし、その上、それぞれの土地のスーパーを探し、知らない言語の食品を買い、各宿泊先のキッチンやバスルームに慣れ、どう使うのか分からない洗濯機を試行錯誤で使用し(何度も失敗し)、時にはスーツケース一杯の洗濯物を引きずってコインランドリーまで列車を利用し、、、ということを繰り返していると、当然、観光に割く時間が少なくなり、欲求不満に陥る。今後はこうした失敗は避けたいものである。

ちなみに、帰国して1番ホッとしたのが、自宅のシャワー。適温のお湯と水圧、そして、適当に広いバスタブ。これ程恋しくてたまらないものはなかった。北欧はサウナがあって嬉しいが、バスルームは非常に簡素。シャワーとトイレの便器が仕切りやカーテンもなく、近距離に並んだバスルームが多く、シャワーを浴びるたびに便器までびしょ濡れになることもしょっちゅう。温度調節や水圧がイマイチであることも、比較的高級なホテルでもよくあるため、あつあつの大量シャワーが大好きな私にはいつも物足りない欧州のバスルーム。昨晩は久々に心地よいシャワーで生き返った気分であった。

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仕切りのないシャワー。このホテルにはカーテンはついていたが、バスルームの隅々まで床にお湯が広がってしまった。

 

それにしても、クーラーの壊れた我が家は暑い。帰途、機上から見たグリーンランドの景色を眺めて、涼を求めるとしよう。

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スウェーデン=歯痛??

子供の夏休みも半分以上が終わり、継娘のキャンプ生活も終わり。テニス、写真、ライティングと5つのプログラムを終えて、学校の勉強とは違い、それぞれ楽しそうだった。休み中は機嫌が良くてこちらも有り難い。

さて、子供のキャンプが終わったところで、次はあさってからスウェーデン&フィンランド旅行。夫が3年に1度はスウェーデンに出張があるため、今年はそのついでに祖先(夫はフィンランド系アメリカ人3代目)の出身地にも足を延ばすことにして、継娘も一緒の旅行。

さて、ここ数日、パッキングを少しずつやっているが、私の気分は落ち込みがち・・・。

というのも、再び、歯が痛いのである。「再び」というのは、もちろん、歯痛もよく起こすからだが、前回、スウェーデンに行った時にもひどい歯痛に悩まされたからである。歯根治療をやった直後で、旅の半分は抗生物質を飲みながら痛みがひくのを待ち続けたのを覚えている。今、ブログを読み返すと、他のハプニングのほうが強烈だったようで、歯のことは書いていないが、旅先で辛かったのは確かである。

今回はさして異常がない歯の冠を交換してもらうだけのはずが、蓋を開けた途端に痛み出し、それが4週間も続いたまま。歯根にも異常がないようで、かといってこのまま冠を入れて、万が一、歯根だったということになれば、800ドルの冠を無駄にすることにもなるため、このまま仮の詰め物のままで旅行を結構することに決定。万が一に備えて抗生物質も出してもらったが、これ以上痛くなってもらっては困るなぁ。

先週、歯科に行った時など、「生体実験をするつもり?!」と訴えたくなるような痛みで、治療を受けながら日本軍やドイツナチスが以前に行った蛮行などが脳裏に浮かんでしまった。歯医者さんは少し構うつもりだったようだが、詰め物が頑なにくっ付き、元々痛い所をガンガンこづかれたり、ひねられたりされて、その後、家にたどり着けるかと思うぐらいの激痛に見舞われた。その日の治療で痛みがマシになったので文句も言えないが、トラウマになりそうな経験だった。

さらには、こちらは4週間前の治療の時だが、顎を痛めてしまった。この時は麻酔がかかっていたので、治療中は痛みを感じなかったのだが(それがいけなかった)、麻酔が解けてみると顎が異様に痛い。大きな吸引器を入れられたまま1時間近くも口を開けたままだったのが災いしたらしい。徐々に痛みはひいてきたものの、完全にも消滅しておらず、歯の痛みと共にこちらもまだ進行形。

口周りの痛みがあると、余分なものを食べなくなるので体重が少し減ってはくれたが、何かを噛む度に「今回は大丈夫かな?」と考えなくてはならないのは非常に苦痛である。旅行中ずっとこの状態とは・・・いやはや気分の落ち込むこと。時間薬で治ってくれる種類の痛みであることを願うのみである。

前回の旅行より フォロ島にて

前回の旅行より フォーレ島にて